台湾経済部中央標準局専利処にて講演 六車正道,1995(H7).11月
題名
日本における特許情報の利用の現状
発明協会のOさんと二人で行きった。ODA活動の一環として日本を代表して
行くものであり,民間会社として行くものとは違った続きがあった。
台湾では,空港での出迎えから通訳などの全てを審査官の呉江山氏がやっ
てくれた。
内容; PATOLISの有効利用も紹介し,それに続く社内データベースによる
全文検索を中心として特許情報利用の再構築の状況を紹介した。
まだ紙資料も重要な資料であり,それらとの組み合わせについても紹介。
1日目午前;発明協会から協力事項についての紹介
午後;私の講演,5時ころまでやった。約20名の審査官の方々が,
熱心に聞いておられた。OHPシートを持参し,使った。
午後の昼食後は眠いのじゃないかと思っていたが,誰も眠っ
ていなかった。こちらが驚いた。
2日目午前;9時過ぎから。
午後;4時ころには終了。
トラブル・・・ホテルに着いて,一息ついて明日の講演の打ち合わせと,
思っていたら,受け入れの呉さんが,ところで原稿はどうなっていま
すかと聞いてきた。
あれ?,原稿はワープロで作ったものを印刷して,発明協会に渡し
たのだけど・・・
日本に電話してもらったら,他の資料と一緒に送ったはずとのこと。
いずれにしろ,来ていない。そこで私が持ってきた資料を元にプリント
することになった。ところが,私は鉛筆でいろいろと書き込んでいた。
呉さんは,私たちと夜11時ころ別れた後で,鉛筆書きを消して,
翌朝には配布用の資料を作っていてくれた。感謝!!
講演のあとで・・・特許情報の分析で,台湾の中小企業の次の製品の選定
ができないか,産業界が不景気で困っていると相談された。
短時間ではどうにもできる問題ではない。いい訳のような返答になった。
じゃ,時間かかければできるか,自問した。会社の中でやる分析と
ナマの現場でやることの違いを思った。
講演のあとで,その2・・・懇親会の席で,弁理士で,交通大学で特許関係の
講座をもっている先生から流暢な日本語で,台湾のために技術協力頼むと,
言われた。「私は昔は日本人だったのだ,台湾を助けてください」
と言われた。やらねばならないと,心に誓った。
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