新刊 「六車とは何か?」 副題 六車正道はどこから来たか? 発行日 2016.3.30 著者 六車正道 ⇒購入 ⇒関連;「本を作ろう」 六車(ムグルマ)というのは、私の姓です。いったい、六車とは何でしょうか? 6つの車のことでしょうか? 昔から、何か普通の姓と違っているな〜と思っていました。そこで、もう数十年前のことになりますが機会をみて少しずつ調べ始めました。 古代史の好きな人は知っている人もいるでしょうが、じつは「車」は古代のメソポタミアのシュメール人が初めて作ったといわれています。 下の写真はメソポタミアのそのシュメール人の部族であるウルで作られたものらしく「ウルのスタンダード」と言われる装飾品です。 高さ約21cm、幅約50cm。ロンドンの大英博物館で見ることができます。 この「ウルのスタンダード」に車のある戦車が描かれています。大きなみごとな車輪が描かれています。この車輪にはスポークはなく、板のようです。大きな半円形の板を2枚つないでいるようにも見えます。 スポンサー 話は変わりますが、日本人の姓の多くは地名から来ているとも言われます。じつは、「六車」も日本にただ1ヵ所、群馬県にあります。 しかしそこは、「ムクルマ」と言い、「グ」と濁りません。千何百年か昔には牟来炉間とか、牟久留間などと書いたそうです。そういえば、私が今住んでいる茨城県は平安時代には牟波良岐(むばらき)と言ったそうでし、いまでも埼玉県や東京あたりは武蔵(ムサシ)の国といいます。この「ム」とは何でしょうか? 地名の説明を調べていると面白いことが分かってきました。それは、一般に分かり易い表向きの説明と、少々難しいが歴史的な事実を踏まえた説明の2通りがあるということでした。前者は単純明快です。ところが、後者は説明が複雑で、多くの場合もやもやとしたものが残ります。 ◆茨城の説明では、イバラで囲った城があったというのが一般に分かり易い表向きの説明です。しかしそれでは牟波良岐(むばらき)の説明はできません。なぜ、牟波良岐と言ったのかこれまでその説明は聞いたことがありませんでした。ところが私が見つけたある本にはその説明がされていました。その説明はここには書きません。じっくりと読まないと、そんなバカなということになるだけですので。 ◆群馬県の六車も、武田信玄が攻めてきた際に、車が谷間に落ちて6つに割れたという説明があちこちの本に書かれています。これも一般に分かり易い表向きの説明と言えます。しかしこれでは牟久留間などと書いたことの説明にはなりません。この本を読んでいただくと、その説明が得られる・・・かもしれません。 ◆私はこの本をまとめつつ、いったい日本語はどうやってできたのだろうかと、考えるようになりました。 ◆万葉集では「鳥が啼く東(とりがなくあずま)」と言って、鳥は関東の枕言葉だったそうです。また・・・、古代エジプトでは梟(フクロウ)のことを「ム」と言ったそうです。 ◆沖縄はずーっと昔、ウルマ国と言われたそうです。そういえば平成の市町村合併で「うるま市」が誕生しました。群馬県は昔、久留間国とか久留末郷と言ったそうです。今でも久留間神社というのがあるそうです。 ◆その群馬県に、日本でただ一か所の六車があるのはなぜでしょうか? そこが昔は牟久留間と書いたのはなぜでしょうか? ◆なぜ日本では車のことを中国のようにシャとかチェーと言わずに「クルマ」というのでしょうか? この本にはできるだけ事実に近いものを集めて、「ムグルマとは何なのか?」に迫ってみました。 (一部に、16世紀頃からの比較的新しい時代の六車氏の家系図などもあります。) |
||
(前書きより) 私は自分の姓・六車(むぐるま)はどういう所から発生したのか、どんな意味があるのか、ロクとクルマとはどういう関係なのだろうかと、長い間不思議に思い、関心をもってきました。疑問を解決したいとアンテナを立てている(関心を持続させている)と、面白いようにいろんな情報が向こうからやって来る、集まって来るという感じがしたものです。 最初私は熊本県の六車しか知らなかったので、何百年か前に居たであろう場所を探していました。そのため「六車は何処からやって来たのか?」という題名を付けて記録を集めていました。ところが途中から、その語源、ム+クルマという音の成り立ちに関することが分かるようになり、そもそも「六車とは何か?」ということに関心が移っていきました。そういうわけで本の名称と副題は似たものになっています。 この小冊子は約40年に渡って調べたいろんな情報をまとめたものです。入手した順に書いてありますので、似たような話が繰り返し出てくる場合があります。謎解きのステップとして見ていただければ幸いです。まるで秘密の扉を1枚ずつ開けていくような面白い所があちこちにあります。 結局、六車について決定的なことはいまだによく分かりません。しかし予想もしなかったいろんな角度から検討できることが分かってきました。 例えば、紀元前5000年までさかのぼる話しとか、世界の古代史に関係する部分など荒唐無稽と思われかねないものがこの本には含まれています。しかしそれらは私の勝手な主張ではなく、いろんな資料に書いてあるものを拾い集めた結果です。それらの中のいくつかは今後の検討で六車と無関係のものが出てくるかもしれませんが、現時点では何か関係ありそうに思えるので収録したものもあります。 六車姓に関することは、西暦1500年ころ以降の歴史はいろんな古文書が残っておりかなり正確に分かります。それはそれで面白いのですが、いま私が知りたいのはもっと昔のこと、なぜ六車、ムグルマという言い方があるのかということです。 |
||