大連、旅順、瀋陽の旅  ⇒大連、旅順 ⇒目次

  瀋陽、本渓

 典型的な旅行ガイドではなく、私が面白いと思ったことを中心にまとめてみました。

 大連から瀋陽までは、大石橋を経由して片道4時間の電車の旅。途中4つの駅に停車。途中の大石橋は私の父母が結婚し、姉、兄が生まれたところです。家族はその後、奉天(現在の瀋陽市)などを経て、安東(現在の丹東市)に住んだようです。
 

 電車の旅は、見渡す限りの農地のトウモロコシ畑でした。トウモロコシ畑は記録映画などで見る60数年前も同じ姿のようです、面積は最近の方が少しは広かもしれませんが。

 広大な平地を見ながら、日露戦争ではこの地域が南下してくるロシアに取られるとやがて日本も中国のように欧米列強に蚕食される危機感でもって、大金を投じて軍艦を作り大砲を引きずってよくも奉天(瀋陽)まで行ったものだな〜と考えていました。政治というものは、目前の事態への対応だけでなく、想像力を働かせて事前に手を打つことで国民の安全を守るものではないか、目前の命を守るだけでは政治とはいえない、宗教とか市民運動ならそれで良いかもしれない、戦争は絶対ダメだという人も自衛のための戦いは許すだろう、しかし、自衛のための戦いといってもどこまでが自衛なのか・・・、そんなことを考えていました。

 そういえば、ガイドさんによると中国のりんごの生産高の6,7割は大連市とのこと。おかしいと思って何度も聞いたがそう言っていました。帰国後インターネットで調べてみると「中国のりんごの主要産地としては山東省、陜西省、河南省の三省が挙げられる。これら三省で、全国生産量の約64%を占めている。次いで、河北省、山西省、遼寧省、甘粛省等の生産量が多い」とのこと。ガイドは28歳前後で最後の挨拶で人生設計なども話すちゃんとしたさわやかな青年だったが、こればかりは謎。

 そういえば少し前のことだが、北京に住む地方出身の学生が、中国の道路は「人は右、車は左」だと言っていた。私がそうではないと言ってきかせても、歩道では右側通行になっている実態などを指して主張を変えることはなかった。これまで交通事故に会わなかったのが不思議に思えた。
 また思い出されるのは、某民放テレビでやっていた排水溝からのリサイクル油が食用として中国内のレストランでかなり使われているということ、またときどきテレビで拝見する中国美人女性のコメンテータが、同番組の中で「ほんとうですよ、良くないと分かっているんですが美味しいんですよね、おっほほほ」と何度も言っていたことだ。・・・聞き取るこちらがボケて来たのか?、それともわれわれが知りえない何か別次元のことがあるのか?

 列車は線路脇のヤナギの並木を見ながら走ります。雪よけかなと思いましたが、中国にヤナギは似合うと思いました。
左下;列車窓のガラスを通してのヤナギの列。右下;りんご畑のようです。
 

 特急列車の「軟座車」は、指定席かグリーン車のどちらだったか。列車内には禁煙ともう一つ何か禁止マークが出ていましたが、聞き漏らしました。
 

左下;産業携帯危険品の列車内への持ち込みは禁止
右下;トイレは停車中は使えません。止まる前に車掌(女性)が鍵をかけていました。理由は不明。まさか、(日本でも昭和30年代までやっていたように)走行中の列車から落とすのではないでしょうが。・・・その後、中国で働いている知人から「正解です」と言って来ました。(~_~;
 

 瀋陽駅の列車ホームでトマトや瓜を売っていました。社内で食べるのでしょうか?
エスカレータ間の空いた部分に宣伝が一杯。日本では見かけませんが、なにか安全上の規制でもあるのか?
 

 前に荷台を取り付けた自転車をよく見かけました。後ろに荷物を引くと、、、無くなることがあるのかも。物売りするような場合には便利かも。
 

 そういえば、瀋陽ではオートバイがたくさん走っていました。大連では禁止でした・・・都市が異なるとまるで別の国のような感じ。
なお、目にした多くの(すべての?)オートバイは電動式でエンジン音は全くなし。車道だけでなく歩道も走っていました。デザインも結構良かった。中国ではこんなにあるのに、日本ではなぜ無いのでしょうか?

 瀋陽の中心部で見かけた毛沢東の銅像。北京では見かけたことは無かったですね。ここもいつまであるか? しかし、いまや人畜無害だろうから、あれば何かの役目は果たすかも。中国をまとめる上で必要だった歴史、長期ワンマン体制は腐敗することの戒めとしてなど。


「天気予報」・・・気のメがないと気が抜けた感じ。予報の予が預では何か意味が違う感じ。ホテルのフロント脇にかかっていました。
 
 曜日は、星期というようです。金曜日は、月曜から数えて5つ目だから「星期5」。気温の範囲を書く場合、+28℃〜+19℃と高い方を先に書く。日本と反対です。夏は温度の高過ぎるのが恐怖ですから先に最高気温を書くのは分かります。しかし、冬はこの辺はだいぶ寒いようですから先に最低気温を書きたいのではないでしょうか、−16℃〜−5℃などのように。
 話は飛躍しますが、私の住んでいる茨城県の海岸に河原子海岸(かわらご海岸)というのがあります。こちらに来たン十年前、その海岸の近くで、何かの都合で「河」が見えなくなって「原子海岸」になっている看板を見ました。「へー、東海村が近いからかね、さすがだね〜」と驚いた記憶があります。
 
 レストランで「小心地滑」。意味はよくわかるがこれで文章になっているのだろうか。地面が滑るから用心しろ、ということだろうがその場合の「から」という意味の文字はいらないのかね〜。無くても分かるでしょ、と言われるか。
 

 男子トイレで。前に向かう小さな一歩は文明の大きな一歩、とでも言うのだろう。これはうまい。
 

左下;病院では発熱患者はあちらの門から入れ。発がどうも友に見えてしまう。中国人は間違えないのだろうか?
マクドナルドが麦当〜は分かる。その上は、なにやら男専科のお医者さんのようだが・・・?
 

 大型バスはバックミラーも特大。何でそんなに出っ張るのじゃ?
 

本渓市は、本渓湖という湖の名前から来ているそうです。その湖の水源が本渓水洞です。船に乗って2kmくらいの地底川と鍾乳洞を遊覧しました。これだけの長さにわたってほぼ平らになっていることに驚きです。全体は5800mくらいあるそうです。
右下;観光地だから警察の車もしゃれています。おまわりさんはいませんでしたが、いたずらされないのでしょうか。
 

 本渓市の近くには、高句麗の発祥の陣地といわれる五女山もあります。韓国ドラマでは、朱蒙(ちゅもん)が高句麗を宣言し、五女山で蜂起するのをやっていました。

 石灰石が取れるそうで、かの西太后が初めて使ったとか言われる、美容のゴロゴロ。100元のところを値切って75元で喜んで買って・・・。後日、大連のロシア人街で40元で買えたのでまた買って。最終日に大連の日本人街の土産物屋さんでは10元で買えたとか。本場は品質が良いのだと信じて・・・
 

 本渓からの帰路のドライブイン。男子の大のトイレ。女性もこのようなものらしかったです。話には何度も聞いていましたが初めて見ました。
 

 瀋陽故宮。清の初代・ヌルハチや息子のホンタイジが作った。広さは北京の故宮の1/10くらいだが、それなりに立派。
 

 「次は瀋陽の中街に行きましょう」とガイドが言うので、日本でも中華街といわれるところがあるが、中国で中街とはおかしいと思いましたが、中央街というような意味らしいです。行って見るとやはり中華街のようでした。つまり街の入り口には門構えがあり、雑踏のなかに中国の伝統的な町並みがありました。
 

 しかし、ユニクロや吉野家、またビルの中には欧米のブランドショップもありました。
 

瀋陽北の駅にて;「超市」とはスーパーマーケットのことらしい。
豚の鼻を売っていました。本物の肉のようでしたが、ひょっとすると形どった饅頭のようなものかも。
 

大連駅;瀋陽に出かけるときは降りてきた階段には「旅客止歩」。これは、この階段を上るなという意味らしい。帰りは地下通路を通りました。
 

  


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