北京の休日 ⇒目次 2010年4月、特許事務所長Tさん、Sさんと一緒に北京を訪れた。前回は2年前、同じくTさんとオリンピック直前の北京に来た。あのときは、空港から市内まで延々と縦長の歓迎の旗がはためいていたが、今回はそんなこともなく少し落ち着いていた。 そのまた1年前は家族とパック旅行で万里の長城などを駆け足で回った。 さて今回は、4月9日土曜日、快晴。仕事が終わって背広を脱いで。訪問先のQさんの案内で普通はあまり行かないところを回ってみました。 オリンピック中心 とはいえ、最初は、最近は来る人も多いオリンピックセンターに行きました。(オリンピックセンターは中国では難しい字で書きますのでカタカナで書きました。)地下鉄も初めてだったので乗ってみました。写真撮影は他の乗客の顔も映ってしまうので、やめました。 左下は地下鉄の出口、 右下は改札出口から南に300mくらい歩いたセンターの広場。みごとな青空になりました。 下の写真;センター広場で仲間で写真とっています。若者はどこも同じく楽しそうですが、彼らのほとんどは(国の政策により)一人っ子で、小皇帝なわけです。 左手に鳥の巣、右手に水立方。北側から南を見ています。 この鳥の巣の鳥は「カササギ」だそうです。空港から来る途中など郊外では木の上にそれらしい巣を見ましたが、カササギ自体は見ませんでした。昨年春、韓国に行ったとき見ました。日本でも昔はたくさんいたようです。百人一首には「かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」(大伴家持)というのがあります。カラスよりも一回り小さく、上は黒ですが、胸から腹部が白く、尻尾が少し長いようでカラスよりもずっと上品です。 鳥の巣、水立方は中に入りたいとも思ったのですが、何もないよと同行者が言うのでそのまま次へ。(先達は、少しのことにも大切だと言いますが、中国では・・・?) 景山公園、北海公園、恭王府 景山公園 景山は、故宮・紫禁城の北側にある人工の小山です。故宮の見物は以前やったこがあり、そのとき、北側の出口の堀の北側に小山がそびえているのを見て登りたいものだと思っていました。念願かなって今回はその景山に登ります。故宮の堀を作ったときの土を積み上げて作ったと聞いたように思います。 その前の景山前街という道路を着飾った人たちが歩いていました。観光客用の行事か、またはどこかの偉い人か金持ちのお参りのように見えました。 左下;景山の前に立って、北方の山頂にどっしりした建物を見上げています。 右下;尾根の西側(左手)に中国風の塔が見えます。 右手からぐるっと回ってあがります。ハイヒールでは無理かもしれませんが、普通のビジネス革靴なら十分登れました。 木立の間の緩やかなのぼり坂から急登坂を数分登るとすぐに山頂です。だだっ広い北京ではこの程度の山でも周りには何も遮るものがなく高いところに来たと思えます。 記憶では、明王朝の最後の皇帝は裏切った家臣に追い詰められて山頂の松の枝で首をくくったとか。責任者が責任を果たせぬ場合、昔の責任の取り方は過激でした。そして、その裏切った家臣も万里の長城にある山海関をくぐってやって来た北方の満州族に追われて自滅。 そして中国人全体に比べればごくわずかの満州族が清王朝を200数十年も治めることになります。その清も海外の列強各国の動きに対応できなかった指導部のために滅んでいきます。(政治がしっかりしないと繁栄は長く続かないもの。日本もしっかりしないといけません。) 頂上から、故宮を北側の裏門側から見ています。日差しが斜め左上から当たっており瓦の輝きが綺麗でした。なるほど、この綺麗な瓦を見せるためにこの山を作ったのだなと勝手に解釈しました。 |
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ズームアップしても中庭を歩く人は見えません。良くできています。しかし、もし大砲で故宮内部を砲撃する場合、この景山は大連の203高地の役割(砲撃の外れを修正する)を果たす重要な場所になります。それをこんな城壁外に作って良かったのでしょうか?
西側に見えた塔に向かいます。途中に観光客用の写真撮影用のセットの看板がありました。 塔は高い石組みの上にありました。この石も堀から担ぎ上げたのでしょうが、大変でしたね。このような大工事をすると、現代ならば給料としてお金が支払われるので景気がよくなります。当時もそのような効果があったのでしょうか? さらに西側へ行くと、右下の写真のような建物がありました。こちらは塔というよりも日本でいえば東屋(あずまや)のような感じのする建物です。しかしいずれも、カラフルで竜宮城のような感じ。 そのまた西側に行くと下り坂になっていますが、その先に今から行く北海公園の白塔が見えます。 湖になっている北海公園にかかる橋を渡ります。白塔は、ここも石山の上にありました。白塔の真下に行くと覆いかぶさるような大きな塔に圧倒されます。 白塔から降りて、庶民の食堂のようなところで昼食。現地の人と一緒でないと入らないかもしれません。 食事後、さらに北側に向かうために胡同(フートン)を通ります。以前来たとき、別の胡同を人力車で観光したことがあったが、今回は歩きです。観光客がぞろぞろというわけではありませんが、同じルートらしき人がちらほら、また住人らしい人もちらほら。下の写真は胡同の出口で撮ったもの。 ※胡同(フートン)とは北京市の旧城内を中心に点在する細い路地のこと。 胡同を抜けて大通りに出て、恭王府に到着。清朝末期の、光緒帝のおじに当たる(?)恭親王が住んだ場所で中国風の庭園があります。恭親王は、小説「蒼穹の昴」でも出てくる人です。下の写真のような典型的な中国風の建物を見ていると、李春雲(春児)や梁文秀が出てきそうな雰囲気です。観光客が居なければもっとそんな気分に浸れそうですが、そうなると私も居ないわけで・・・ 今年は北京も寒暖の差が激しかったとのこと。今日はやや強い日差しで、「日ごろ運動不足で・・・」と同行のQさんはバテ気味。私はそれほどでもありませんでした。日ごろの筋肉トレーニングが良かったか。日ごろの注意が健康の基本です。(そう言っておれるのも今のうちでしょう。40代までの10年と60歳を過ぎてからの10年は違います。。。) |