リンパ腫の再発

2019.6/8(土)、小雨  昨日は小雨の中、果樹を植える穴を掘ったり元気に動いていますが、実はリンパ腫が2月に少し再発していました。現在は治療を終えて一昨日の検査では寛解(かんかい)の状態です。※ガンなどでは完治と言わず、とりあえず症状が消えている状態と言う意味で寛解と言います。
「少し再発」と書いたのは、PET画像診断でも少し出てる程度であり、血液検査でも許容値519(別の基準では496)の値が800位に上がった程度だったためです。それでも放置するのは良くなく、3月に4日間入院して分子標的薬(リツキシマブ)の点滴を1回やり、その後毎週一回通って合計4回の点滴をやりました。それから1カ月余りたった5月半ばに再度PET撮影し、その結果を一昨日に聞いたのですが、ほぼ消えていました。念のため今後もしばらく2カ月ごとに点滴します。

ガン細胞は正常な人でも毎日500~1000個くらい発生しており、それを人が持っているキラー細胞が食い殺しているのでガンが発症しないらしいです。分子標的薬というのは簡単に言うとガン細胞に目印を付けるものらしく、キラー細胞が働きやすくするもののようです。(専門的にはすこし間違った説明になっているかもしれません。)
そのため分子標的薬を点滴しても正常細胞を攻撃するようなことはなく、頭髪が抜けるとか疲れるようなことはないのですが、事前にアレルギー対策の薬を点滴するために終わった後も一日中眠くてたまりません。

ところで数日前、日立製作所の会長で経団連会長の中西宏明氏がリンパ腫で仕事を停止して治療するとの報道がありました。リンパ腫というとあまり聞かない名前だと思っていた人もいるでしょうが、そうでもないものだと知ってもらえそうです。なお彼とは入社当時、同じ独身寮でした。別に親しくはありませんでしたが。同じリンパ腫にかかったと言うことで身近に思えてきました。

なお新聞記事では、彼はリンパ腫になったが悪性の可能性もある、と書いていました。経団連がそう発表したのかもしれませんが、リンパ腫と診断されればすべて悪性リンパ腫であり、リンパ腫に良性はないそうです。ステージは他のガンと同じく1~4まであります。

寛解継続のリンパ腫

2017.9/26(火)、晴 1年ぶりにCT撮影やった結果、寛解(かんかい)が続いている、と言う診察結果でした。
ガンなどでは完治と言わず、このように寛解という言い方をします。これは、「再発するかもしれないが今は良い調子だ」と言う意味をあらわしているそうです。ただ、5年くらい寛解が続くと完治という表現もするようです。

医薬品やその使い方が良かったのでしょう。今後も前向きの気持ちで、すべて物事の良い面を見て楽しみ、毎朝のラジオ体操や太極拳や水泳などの運動を続けたいものです。MGグラフダイエットを広めたい、なども良いかもしれません。新鮮野菜をやまほど食べられる環境も良いと思っています。

大学での講義や2,3時間の講演もたまにやっていますが、これらの適度な緊張も良いですね。

ガンのこと

2017.6/23(金)、晴 乳がんを患っていた小林麻央さん(市川海老蔵の妻)が亡くなったそうだ。抗がん剤治療を長く続け、放射線治療もやっていたそうだが、最近はあちこちに転移していたとのこと。
まだ若くいろんなことをしたかったろうし、幼い子供2人を残して心残りでもあったろう。

何か悪いことをしたわけでもなかろうに。突然人は死ぬ。諸行無常を思い知らされる。生きていることは「有り難い」ことである。

抗がん剤治療は全身への影響があり、昨年夏18カ月もやっていると聞いた時点で大変だなと思った。抗がん剤は全身の細胞の再生を停止させてガン細胞の分裂増加を抑えるものであるため正常な細胞もダメージを受ける。自覚症状としては食欲はなくなるし、グッタリとして疲れはててしまい、生きてるのか死んでるのか分からない状態のような気分になってしまう。私は5カ月やっただけでこれ以上できるかなと思いかけたのだが、18カ月もの間またそれ以上の期間よくがんばれるなと思っていた。選択の余地はなかったのだろうが。

当方の悪性リンパ腫は医学の発展のおかげで比較的治り易くなっているが、治り難いガンもまだ多い。同じガンでもいろいろある。
ある先生から「たちの良いガンで良かったですね」と言われたが、確かにそうだったかもしれない。たちの良い悪いは何の違いなのだろうか?

私も、考えてみれば平均寿命まであと10年ちょっとになった。残りの少なさに驚く。ガンになるまでは考えることもなかった気がする。残りの期間に何をすべきか?
何もしなくて良いと聞くこともあるが、それではせっかく生きている意味がない、と考える。動けなくなったら仕方がないが、動ける限りは何かしていたいものだ。できれば誰かの何かに役立つものであり続けたい。幸い私はそのようなものを見つけることや行なうことが楽しみなのでその点は問題ない。

リンパ腫の影響もだんだん消える

2017.4/22(土)、うす曇り 悪性リンパ腫は昨年6月末までの抗がん剤の点滴や7月までの薬服用により、8月末で画像上はすべて消えました。しかし血液検査で、腫瘍マーカといわれる SIL-2R の数値がその後も高かったのですが1月の検査で正常範囲に下がっていたことが今月初めの診察で分かりました。
再発する人は半年以内がかなり高い割合だそうです。半年を乗り切ったところです。順調に回復しているようです。

ところが最近、体がダルくなることが多くなりました。風邪でもないようだし、と考えていた時、甘いものを食べたら回復しました。そこで血糖値を下げるジャヌビアという薬を数日少なくしたら、ダルさがほとんどなくなりました。低血糖気味になってダルくなっていたようです。
医師に相談したらジャヌビアを全部止めることになりました。抗がん剤の一部であるプレドニンが血糖値を上げるための対策としてこの薬が必要だったのが、プレドニンを止めてだいぶ期間がたつので不要になったのだろう、と思っています。

ところがその数日後、まだやはりフラフラします。そこで、のんでいる薬を見てみるとアロシトールという尿酸値を下げる薬の副作用として全身倦怠感と書いてあります。しかし、これは当分飲み続ける必要があると医師から言われているものです。
この薬は1日一回のむもので、朝食後にのんでいました。朝飲むから午前中や午後にフラフラするのではないかと考えました。そこで、朝食後ではなく夕食後にのむことにしました。夜寝ているうちなら倦怠感もフラフラ感があっても問題ありません。この変更は医師に相談する必要があるかどうか・・・。

医師からは歩いて体力を付けろと言われているので毎日5000~1万歩くらい歩いています。体重は63キロ前後で標準体重にピタリです。
詳細⇒ http://www.patentcity.jp/graphdiet/201704.htm

1年経過したリンパ腫

2017.1/18(水)、晴 昨年はこの頃から踵(かかと)に痺れを感じ始め、数日後に太ももに痛みを感じてその後大変なことになって行きました。私の悪性リンパ腫の詳しい記録は昨年の9月8日が最後なので、その後のことを書いておきます。

昨年11月まで毎月1回の診察を受けていましたが経過は良好でした。血液検査で各種炎症の指標であるCRPは継続して0.06くらいに下がっています。そこで、11月の次は2カ月後になる昨日、1/17(火)に診察を受け、さらに次回の診察は3カ月後の4月半ばということになりました。これは寛解という状態が続いていると判断されたものと思います。ガンでは治癒とか完治と言わず症状が消えている状態を寛解と言います。

「早期発見でよかったね」と言ってくださる人もいますが、じつは膨大な領域のリンパ節やリンパ球がガンの状態でありステージ4だったのです。ところが胃や肺、脳、骨髄などへの転移がなかったのが幸いでした。胃ガンや肺ガンのステージ4というのはなかなか大変らしいのですが、悪性リンパ腫の場合はそれらとは異なるようです。
昨年秋に、発症から1年余りで亡くなった元文科大臣の小坂憲次氏のようなケースもありますが、私のように抗がん剤が劇的に効く場合も多いようです。

良くなっているとはいえ治療の副作用のために免疫力の回復には1年くらいかかるそうで、土を直接いじるのはダメと言われています。土にはいろんなバクテリアがおり、(2015年、ノーベル賞受賞の大村博士のように)物凄く良いことも悪いこともするものが混じっているわけですから、悪いものを取り込まない様にしないといけません。

昨日医師に確認したのですが、私のは「低悪性度B細胞リンパ腫」というものでした。これまで私は「低悪性度」ということを認識していませんでした。あまり細かく聞かず医者にお任せして私は自分のやりたいことをやっていたためです。ガンになるとガンに関する多くの本を読んで専門家みたいになる人もいるようですが私は逆でした。治療で気を付けるべき点は聞いていましたが、あまり深入りするのは避けて医者にお任せと思っていました。この気分になれたのは、良い医者や看護師に恵まれたせいかもしれません。

じつは私は最近数年、自分はいろんなことに恵まれている、運が良い、と感じています。十年くらい前はそう思えるように努力していたのですが、最近は自然にそう思えます。例えば、何か問題点を他人に言うにしても「文句付ける」のではなく「良い状態にするために提案する」というように考えています。ステージ4のリンパ腫になって入院したことも、多くの人が経験できなかった貴重な得難い経験をしたので得したと思っています。今だから言えることですが、何事もなく一生を終えたら面白いのだろうか、と考えたりします。
今回の件では医者や看護師に恵まれていたと思う点を具体的にいくつも思い出すことができます。(まだ完治ではありませんが)劇的な回復もまちがいなく恵まれていました。また、下に紹介する本も入院したことで完成できたものでした。

じつは、最後の仕事になるかもしれないと考えつつ、入院前夜に「六車とは何か?」という90頁の本の印刷製本をインターネットで発注しました。入院中に校正し、退院後の4月7日に100冊ほど完成しました。これは40年くらいかけて私が情報収集してきたものの集大成でした。これまで何度も印刷しようと思ったことがあるのですがそのたびに不足部分に目がいって修正に時間を費やして印刷までに至っていなかったものでした。
さらに、この作業のために病院で使う新しいタブレットパソコンを、ベッドで点滴受けながら、スマホで探して注文し販売店と機能や価格をメールや電話で折衝し、外付け光学ドライブ・その他を買い、Windows10を使い始め、福岡県に住む学生時代の友人とラインで頻繁に連絡取りあって教えてもらったり、スマホ経由でパソコンをネットにつないだり、などやっていました。
4月に退院してからも秋までの間に、ごみや土に接触しないように気をつけながら、ラジオ体操の世話人とか、団地の砂場清掃、公園などの草刈り、公園に芝を植える、公園花壇に花を植える会世話人、などやっていました。
こんないろんなことがやれるのは、私のために誰かがわざわざ空けておいてくれる、とさえ思います。

病気の件に戻します。入院直前に医師から進行度が極めて高いと聞いて、ずっとそう思っていました。ところが昨日聞くと、全体としてはじわじわ長い期間をかけて進行してきて、1月末から急速に大きくなったのだろうということでした。入院直前は進行度が極めて高いという状況だったようです。
リンパ腫は30種類にも分けられ、しかもその中もさらに分けられるものもあり種類が多いそうです。私のタイプは5年生存率が96%などとかなり高いもののようです。ただし、楽観できないケースもあるようです。発症前に体重減や発熱、発汗、疲れなどがない場合は完全寛解に至るケースが多いようです。幸い私はそれらは全くありませんでした。

じわじわ長い期間をかけて進行・・・確かに、半年くらい前からなんとなく体調が良くないという印象がありました。とはいえ別に体重が急減したわけでもなく、寝汗をかくのでもなく、発熱やひどい疲れもありませんでした。当時は、歳とったらこんなものかと思っていました。しかし、それらと関係するのかどうか分かりませんが、「がん哲学外来」や「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい 」とか、中村天風の「運命を拓く」などの本を読んでいました。読みたくなる気分だったのでしょう。また12月には極めて大きな流れ星を2回も見たのですが、面白いと思う一方で嫌な感じがしていました。

ところで、この「運命を拓く」と言う本が面白いのです。著者の中村天風氏は明治末のころ奔馬性結核というものにかかり、日本では治らないので治療法を求めて自ら船に乗ってアメリカ、ヨーロッパを旅し、それでも見つからず死にそうになった帰り道にスエズ運河のあたりでヨガの行者に出会い、話し方で気持ちが変わりその結果は体に現れると教えられ、実践していくと結核が治ってしまったそうです。その体験を発展させて、積極的な考えを持ち話すことで健康を得て事業を成功させうると主張しています。これは私が求めていたものと同じであり、私のガンの回復に少なからずの効果があったように思っています。

人間は60兆個の細胞があり、毎日500~2000個ものガン細胞が作られているそうですが、リンパ球がそれを食べてくれるのでガンは発症しないそうです。免疫力が落ちると食べ残しができガンが発症するそうです。

現在、病を乗り越えつつあるようです。とはいえ、今後のことは分かりません。油断せず、やりたいことを楽しくやっていきましょう。前向きの考え方や笑いは免疫機能を高めると言われています。