2016.7/3(日)、曇 昨日気分よく、うな重を食べに行きました。常陸多賀駅の通りの北側のちょっと入ったところ。常陸多賀駅前の大通りに面したところは人も入っていないし元気のないように見える店ばっかりです。ところが、少し両脇に入ると、あちこちにこんな店があります。
(こういう現象をなんと言うんでしょうかね。)
たぶん旨かったようです。大蔵大臣の舌には大いに合ったようです。
私は元々、シーザの舌(※)と自称している程度のものであてになりません。おまけに薬いっぱい呑んでいる現状では聞く方が野暮でしょう。ただし、まずくはなかったし、ウナギを食べていることはよくわかりました。
※シーザの舌・・・勝手に私が言ってるのですが、古代ローマのシーザ、(イタリア語ではカエサル)が、現在のフランス、ドイツで戦った数年間の戦記として有名な「ガリア戦記」というのがあります。塩野七生氏によると、シーザが(連れて行った作家に口述で伝えて)書いたガリア戦記には、食事に関するものが1つもないそうです。私の想像ですが、これはシーザは食事を生きるために食べるものと思っていて、その味はどうでもよかったのだと思っています。食べられないほど酷いものは別としてですが。じつは私もそうなのです。
世の中に美食家と味に関心のない人がいるのは、舌(というよりもっと煎じ詰めればそれを感じる脳)の作りが違っているのだと思うのです。そういうことで、私はシーザの舌を持っている、と言っています。
と言いつつも、今年のナスは上手にできました。これは私の薦めにそって、ナスが小さいときに大蔵大臣がせっせと水をやった成果と思っています。見た目も立派です。
半分に切って表面に薄く切り口をつけ、さっと炒めたのは大蔵大臣の腕。ポン酢でいただくと、絶品でした。大蔵大臣の的確な調理の影響でシーザの舌も現代ふうに少し変わってきたようです。