本当に夢ではないようだ

今朝起きて頭を叩いてみました。痛かった。昨日聞いた退院の件、ウソではないようです。

40年間かけて調べてきた趣味の本の第2校正を昨日午前中に送信し、印刷に入ってもらうことになりました。まるでこの入院は、その本を完成させるために準備されたような奇妙な印象があります。

丁寧に対応してくれた若い医師がいたのですが、研修医だったので今日が最後だと、昨夜挨拶にこられました。突然のことで驚きましたが、はなむけに次にことを伝えました。

「痛くて痛くて入院した最初のころ、背中に手を回して大丈夫ですからねと、言っていただいた。あれがどれほど有難かったか、痛みが軽くなったか、想像できないでしょう。医師になると忙しい毎日になるでしょうが、今後とも患者に手を触れることをぜひ続けて下さい。」

今朝も、毎朝やっているように、唯一外を見られる談話室の窓から手を合わせてポンポンと拝んできました。特定の宗教に帰依する気は、今のところありません。

私が拝んできたのは、この素晴らしい日本の医療体制、政治経済の安定した状況、高い信頼性を評価する気質や技術、日本の素晴らしい気候・風土、そこに偶然生まれつき、良いものを良いと言える自分、そういうもの全てに感謝してきました。

本日も、ひと箸ごとに7、80回近くも噛んで朝食が終わり、歯ブラシを時間かけてしっかり行い、痛み止めその他の薬をのみ、抜ける頭髪をすき取り、白血球減少対策の点滴が終わり、1日が始まりました。

 

退院の予定!!

2016.3/29(火)、晴 昨日の造影CTによる検査の結果、今度の日曜日、4月3日に退院できる予定になりました。

症状が出てから極めて急速に悪化した悪性リンパ腫でしたが、治療も劇的な効果が出ており、このような医師の判断になったものです。

ただし、まだ痛み止めや抗菌の抗生物質をたくさんのみながらの事であり、もろでを上げて万歳という状況ではありません。いつ退院延期とか再入院になるかもしれません。

悪くなるのも良くなるのも、あまりにも速いのでまるで夢でも見ているような気分です。本当に起きていることなのか、病室に戻ってベッドの上で頭をたたいてみると痛いし、つねると確かに痛いから夢ではなさそうです。医者が言うには、使った点滴薬が全く効かない患者も10%位いるし、私のように非常に効果の上がるケースもあるらしいです。

今後は外来で3週間に2回程度の点滴などを6~8回繰り返し、その後は数ヶ月に一度の検査を行うそうです。家庭生活は、風邪引かぬように気をつける、カビ菌の感染防止、外出から帰ったら手洗い、うがいを行う、ゴミが舞うような場所は避ける、室内は清潔に保つなどで良いそうです。

まだ痛みやしびれがあるので、当面は薬を飲み続けます。肥大化した腫瘍で神経を傷つけているようで、(自分で)リハビリやって治してください、とのこと。散歩など大いにやってくれということなので、生活の中でリハビリできるということのようです。

土をいじるのは危な いので禁止されました。しかし、手袋して苗を移植する程度は良い、鍬をふりかざして耕すなどはダメ、と言われました。

エンジン付の草刈り機を動かすのはしばらくダメですね。これまでも、あれをやると鼻の中が黒く汚れていましたから、ゴミを吸っていたのでしょう。

朝のラジオ体操は体力の回復と暖かい状況になる数週間後からにしようと思っています。

犬との接触も限定が必要です。しかし、手放す必要はなくホッとしています。

 

半月たちました

2016年3月15日(火)、晴れ 2月末に、下半身がガン細胞で真っ黒けの我がPET画像を見て覚悟を決めました。ところが、進行も早かったのですが激痛のお陰で事態が発覚し、様々な処置をおこなっていただき、緊急事態は脱したようです。

しかし、まだまだ痛みの根本は何も変わっていないので油断はできません。むしろ、治療効果と副作用のせめぎ合いがこれから始まります。

畑の方は終わりと思っていましたが、少しずつやっていただく方々のおかげで何とかなっているようです。

2ヶ月くらい新聞やテレビニュースはほとんど見ていません。その分、いろいろやっていました。

スマホだけではいろいろ使い難いのでウィンドウズ10のタブレットパソコンを昨日注文しました。

また昨夜は、眠れずに、AI(人工知能)のディープラーニングシステムが囲碁において3/4で人間に勝ったことを考えていました。

ディープラーニングという人工知能システムは、数多くの実戦データを自ら学んで、勝つための方法を自らプログラムしていくシステムらしいです。

やり方を自ら探して習得するということは、そのうち人間に対して、あれこれと強制する不安を感じます。コンピューターが人間は存在不要だと判断したら、怖いですね。

いまのところディープラーニングは「問題を与えれば」、疲れないアタマで一生懸命に勝つ方法を探すように作ってある。問題、課題を与えないと何もしない。

しかしやがて、何を探すべきか自ら探すようになるだろう。これは人間でいえば「自我」、「自意識」の発生ではないだろうか。

人間が、自然から「生きる」という課題を与えられ、解決策を試行錯誤的に探しまわった。そのうちに、裕福になって時間の余った人間 は「何を探すべきか」自ら探し始めた。哲学を作り、宇宙の果てまで観察し、微細の究極まで「宇宙は何ものか」と探している。

AI/ディープラーニングはやがて自分たちは人間ではなく、それよりも系統だった理解ができるらしいと気がつく。

神は場所もそれほど使わないので、祠の隅に押しやっておくこともできた。しかし人間は忙しく動き回り、作ったり壊したり、地球を汚し、また宇宙を汚していく。こんなものが本当に必要かとディープラーニングが理解したら、大変なことになる。

SF小説ではこんな時、主人公がコンピューターの電源を抜きに行く。しかしAIの発展した元での人間は、海岸で揺れ動く砂粒程度の存在であり、コンピュータ、つまりAI・人工知能は大海原であろう。

じゃどうするか?

★これから先が、昨夜考えた私の著作権の部分である。

「今後の人間は、ディープラーニングつまりAIに笑われない者に変わっていくしかない」のではないだろうか?

自分たちの主張ばかり言って周囲を困らせるような個人、宗教、政治体制をAIが素晴らしいと「本気で」考えるかどうか問われる時代になるはずだ。

立場によって異なる、などの言い訳が通じなくなるともいえる。整然とした区画(法体系)が設けられ、その中でモノゴトの良し悪しが決まっていく。

人間は窮屈さを感じるだろう。そんな時代は面白くないとか、死んだ方がましだという声が聞こえて来そうだ。そうしたいなら、そうすれば良かろう。

神が救ってくれないと嘆いても何も進まない。

だから言えることは、コンピュータが究極的に発展したAI社会(我々が今知っているのはディープラーニング)では、人間が祠に祭られるのが嫌なら、コンピュータに邪魔者と思われないように変わっていくしかない。

★したがって、2つ目の私の著作権ポイントは、

「AIの進んだコンピュータ社会では、人間は道徳的に大発展を遂げる」

ということである。笑う人が多いかもしれない。私は本気でそう考えています。

お終いです。(誰もここまでは読んでないかな?)